阿吽会ではGW特別講習会の第2日目に 初級散打講習会を開催しました。今回は初級散打ということもあり散打の基本や攻撃への崩しなどを主に行い、散打競技にのっとった形でのカリキュラムとなっていますが、本質にあるものは武術としての身体操作です。 阿吽会非会員の方は、この講習会では表面的な散打技法のみでなく、散打を通じて武術の鍛錬の過程での自己認識を体験されたことと思います。阿吽会の会員の方は、さらに普段の鍛錬の意味を理解し今後の課題や方向性を見出したのではないでしょうか。

【リポート1】
インターネットを通じて「阿吽会」の存在を知ったのは一年ほどまえ。同会の武術クラスというものに想いを募らせながらも、わたしはこれといった機会を見つけられずにいた。そのようななかで一つの大きなきっかけとなったのが5月4日に催された「初級散打講習会」である。
阿吽会の武術の要請する身体操作とは如何なるものか?わたしの興味はこの一点に絞られていた。打撃系格闘技を経験しているわたしはグラブをはめて叩き合う散打の技術体系を学ぶことにより、阿久澤代表の身体運用を垣間見て「阿吽会」の何たるかを承知したい一心だった。散打という競技の性格上、ルールによる多少の制約があるのはやむを得ないにしろ、4時間もある講習のどこかでより実戦的な武術の動作の一端を目撃できるはずである。期待は高まるばかりであった。
講習は軽いランニングから準備体操を経て前後への受身の練習に始まる。つぎに突きによるミット打ちから、突いてきた相手に対する崩しのパターンをいくつか学び、崩しを織り交ぜた蹴りの用法とミット蹴りへと移ってゆく。最後にライトスパーリングを終えて講習会終了となるのだが、それぞれの練習の際、事あるごとに阿久澤先生によって指摘されたのが「体軸」、あるいは「体の幹」といった身体意識への重要性であった。これら体の芯ともいうべき軸の確立こそが「阿吽会」の基本テーマであり、同会で基本功が重視されている所以でもあるらしかった。基本功で培われた軸への意識がより太く確実な身体感覚へと練られ、作り上げられたとき、そこから発せられるエネルギーは出所の知れない大きな力となるらしい。
では実際、その軸の確立というものが他者へとどのような影響を及ぼすのか?阿久澤先生は「入力」という言葉を使って相手への力の伝達を説明され、また目のまえで実践もしてくださった。例えば左ジャブを掻い潜った先生がわたしの胸元へと体を摺り寄せた瞬間、わたしは抵抗の余地なく脚を掬い上げられ転がされてしまっていた。踏ん張って体勢を整える時間的余裕など一切ない。これは、先生の体軸によってわたしの軸が傾かされ、崩されてしまったほんの一例である。また、力の伝達速度が比較的ゆっくりであったとしても「入力」によるエネルギーに抗うことは困難でじわりじわりと押さえ込まれてしまう。体の内側に侵入して相手をコントロールしてしまう電気のような力。冷たい床に転がされているうちにそのような印象を覚えた。某合気団体の指導員が阿久澤先生の「入力」を受けて首を傾げられたそうだが、これはいわゆる合気道的な力の出力とは別物であることを示しているのではないだろうか。
100キログラムの巨漢をまえにスパーリングをするとき、まずその質量に圧倒されてしまう。だが、体重わずか60キログラム台の、自分とそれほど変わらない質量の人間が、体を震わせるだけでそれ以上の圧力を受けてしまうのはどうしてなのだろうか。膝を曲げ、真っ直ぐに腰を落とした阿久澤代表をまえにすると、力の渦が弾けると同時に周囲を巻き込んで破壊してしまうかのようなエネルギー感を受けずにはいられない。武術的な佇まいに接触を許すまいとする恐ろしい迫力が伴っているのだ。そこにしっかりと練り上げられた身体と技術の裏付けがあることはいうまでもない。
散打という競技主題があっただけに、いわゆる武術的動作が存分に発揮されずに講習会が終了してしまう事態も思い描いていたのだが、その心配はまったく無用であった。大変有意義な講習であったことをあらためて記しておく。わたしの体軸たるものはまだまだ頼りない意識の表れに過ぎない。この細く弱々しい「体の幹」を基本功によって少しずつ太く成長させるべく、いま同会・武術クラスに通っている。使える武術を習得するには時間を費やさねばならない。正しい教えのもとで。
最後に、今回の講習会に参加したことで「阿吽会」の一員になれたことを幸運に思っている。
宮川和久

【リポート2】
二日目の講習会は棒体術講習会と違って身体作りではなく、散打という競技での身体の武術的な生かし方と、制約された中で相手に対して有効的な動きを行う難しさを体感しました。
講習会の内容は、初日とはまるっきり反対で、武術基本功は行わず、主にストレッチなどでウォーミングアップを行ってから早速初級散打に入りました。
まずは、立ち位置やスタンス、間合い等、グラブでの距離を認識しながら相手と自分の関係を学んでいきます。足をとめて打ち合うのではなく、最初は相手の攻撃を外したり、崩す方向性で訓練していきます。 素手とグローブの違いにより手先の技術はかなり塞がれます。阿久沢先生がよく言っている身体の各コネクション切らさず、自分の身体をいかに整えて動くという方向性で講習会は進んでいきました。これはやはり見た目より難しくて、身体の各部を整えながら普通に歩くのは神経を使います。 次の段階としてこの”繋がった感覚”を保ちながらパンチの方に入りました。通常のパンチとは違って、まず「打つ」という意識に捉われず手を自然に出すことを学びます。そして、打つと言うより、送ると言う感覚で行うように練習していきます。 Kua、そして、頭の先から背中を通す感覚を中心に戻し・出しながら力を送ろうとするような感覚で行います。と言葉では表現できますが、実際に行うのは中々難しい。
次は散打ということもあり 今回はベーシックな蹴りのバリエーションを行いました。サイドキックはパンチの時と同じく、相手の方にExpand、送る感覚で行います。 キックというと蹴ることに意識がいきがちですが、この練習においては、実は蹴る足よりも支えている軸足の感覚が大事で、蹴る事は基本の体軸を保ちつつ重心を水平移動した結果として力が伝達したという事になります。蹴る時も足から背中、頭に走る繋がった感覚を保つことが必要だと思います。そして蹴る時に常に足の間に橋のアーチの感覚があるような意識で行います。簡単な蹴りでも繊細に行わなければ対人相手では有効ではありません。 力を出してないなくても力を使う以上に疲れます。
その他の蹴りもまたサイドキックと同様、通常のキックのような腰を溜めて”蹴る”のとは違い、前に普通に進みながら軸足に感覚を送らせ、一瞬にして自分の中心を前の方に出し、蹴る足がたまたまその中心を送ろうとしているために力が求心的に働いているっといった感じです。これも行うのはかなり難しい。
最後は参加者たちが、その日に学んだ”自分を崩さずに相手の線を外し崩す”事を意識してライトスパーリングを行いました。練習の過程である程度の決まり中で行うにおいても気を配るのはとても難しい要求だというのに、相手との自由体練の中で「自分を保つ」という要求を意識するのはなかなか行えないという現実を味わいます。相手と接触する前は自分を保つ意識をしていたが、やはり接触があった瞬間神経は手や足の方にはしり、どうしても「蹴る」・「打つ」ことに意識がいってしまい、もうボロボロです。 防御に関しては普段のカリキュラムの延長線が生かせたような気がします。しかし攻める時は自分が崩れてしまう・・・このジレンマを今後どうするか、勉強する事が多いです。
今回の講習会に参加して、色々な疑問に対して糸口を見つけたような気がしますが、同時に同数の疑問も出てきました。基本として、一人で行う練習は大事で、武術的な意味で行えばとても意識を使い難しい。しかし、これに加えて動いている相手がいると、いろんな気持ち、感情、が出て、これを受け入れながら行って、そして身体の全ての条件を保つと言う事の難しさを実感しました。ジレンマがありすぎて、悩みや疑問は、深く理解するごとにますます多く増えるが、悩みや疑問がなければ進化しないと思います。次の講習会までに毎日1%ずつでも自分を理解し積み重ねるように頑張ろうと思います。
ロバート・ジョン
