私は武術を学んでいるとはいえ女性なのでどうしても男性にくらべて体格的には劣る。正直に言えば、体格に違いのある女性が、男性と同じように技が出来るかと言えば難しい部分がある。 例えばある動きを行うのに「体のこの部分の力みを抜いて別の部分から出力する」とする。その動きをする為には「体のこの部分の力みを抜いて別の部分から出力する」為の身体ができていなくては、その動きには出来ないのだ。“身体が出来る“というのは”筋肉がつく“という意味だけではない。むろん必要な筋肉もあるのだが、すじや骨、神経や感覚の発達、動きを知覚できているかどうか・・・など、これらの要素をすべて含めて”身体が出来“なくてはいけないのだと思っている。
ふとパーキンス氏が「あなたは女性だ、戦う一つの手段として、相手の顔をこのように攻撃しなさい」と私の手を自分の顔へ持っていった。それは間違っても“鍛錬もせずに極論として顔を攻撃しろ”と言うようなレベルのことではない。武術の本質とはこういうものだということを表している。武術とルールの決まった中での格闘は定義している所が違うのだ。
日本に精神誘導が練習体系の中にある古流の武術がある。精神誘導というのは極限の戦う状態に精神を持っていくものであるが、それはもちろん鍛錬を積み重ね、武術として使えるようになった上で初めて学び生きるものである。精神誘導が訓練体系の中にあるというだけで鍛錬せずに精神を変えて戦う武術だという解釈をされる方もいるようだが、武術を理解しているのであればそのような勘違いは生まれないはずである。 武術は人の生き死にを扱うものだ。それがどのような意味をもつのか、どれ程の人が理解しているのだろうか。視座が異なることを認識せねばならない。
基本を積み上げ鍛錬に鍛錬を重ねた後に、さらに自分なりの体格・資質を鑑みた鍛練方法を自分で模索し意識変革しなくては武術というものにはならない、今後もさらなる進化をすべく鍛練を続けたい・・と阿久澤代表が語っていた。
今回パーキンス氏とは全く面識がなく、NYに行く前にロバートより連絡を取ってもらい交流の機会を頂いた。誰かの紹介でいったのであれば知らなくても丁重に接してもらえるだろうが、我々は会った時はお互いどのような人物で武術のバックボーンも何も知らない状態であった。 武術の世界を知っている方ならお分かりになるだろうが、流派同士の関係やマナーなどは独特な世界観がある。なので、パーキンス氏に会い両者の信頼関係がなくては安易に写真を撮れないと思い、交流が進むまで撮影を控えた。私のこのような心配は全く必要なかったかのように、阿久澤代表が動いて手合わせをし相手の弟子にインパクトを与えた所感銘し、帰りに是非食事に行こうと強く誘われた。だが我々はNYCITYへ帰らねばならず、その場を辞さねばならなかった。何かあればいつでも連絡をとパーキンス氏は連絡先を教えてくれた。
NY武術交流では、どの国、何の流派でも関係なく、すべてその個人にかかっているという事、本質を追及している人間どうしは通ずるものがあると感じた。 この経験を生かし謙虚さを忘れずますます鍛錬を続けようと思う。
最後に、連絡に通訳に奔走してくれたロバート、お疲れさまでした。
窪田則子 (阿吽会武術クラス)
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