今回のニューヨーク武術交流は、武術クラス会員のロバートが仕事の休みをとってニューヨークに戻るのがきっかけだった。ロバートがニューヨークに住んでいる時に学んでいた意力拳のマスターサムの所に行き武術交流をすることになった。 ここでマスターサムについて簡単に紹介させて頂く。マスターサムはマレーシア出身。若い頃はタイ式キックボクシングのチャンピオンで、父親から意力拳を手ほどきを受けており、現在の意力拳をアメリカを中心にロシア/ヨーロッパ等、世界中で教えるに至っている。

第一回目の交流はロングフライトと時差で疲れが残っていたが、チャイナタウンにある教室に参加させて頂いた。締め切った暑い教室で、まず他のお弟子さんたちと一緒に基本をこなした。練習のシステムは推手を行うのに直結した体作りができるような形を何種類も(約1時間程だろうか)行う。とてもわかりやすく後に行う推手につなげやすいシステムになっていることに感心した。
基本が終わった後は推手を行った。私は、日本で意拳(大成拳?)を学んでいたが現在仕事の為にニューヨークに住んで4年ほどサムの教室で練習しているという方にやり方を教えて頂いた。意力拳での推手は両手で行い、お互い相手の上をとり、崩しあうというもので、身体全体に外側の張りを強く使っているのが特徴だ。(これは後に抜く為にという事のようだ。)
阿久澤代表は体に張りや緊張を作らない。といっても、これは力をいれない・力がないという事と全く異なる。張りや緊張はないが瞬間に力を伝達できる身体を作るという事だ。私見だが、一般的に中国武術で推手(特に日本で聴勁または”化剄と称されている技術)というと、力を使う事は技がないと解釈されがちだが、これは”力”に対する概念が異なっているように感じている。
阿久澤代表はすでにいろいろなお弟子さんと推手をし、マスターサムの一番古い弟子のデイブと手合わせしていた。意力拳のお弟子さん達は体格もあってか、かなり張りが強い中で、デイブは柔らかく、かつ身体から出す力が整っていて聴く力及び崩しも早く、相手の動きをコントロールする反応を持っていた。日本で一般的に行われている推手技法ではデイブにあっさり崩され、もっていかれるだろうと阿久澤代表が帰りに話していた。アメリカでの武術というと大雑把(力や体格に任せて)というイメージを持っていたのだが、デイブに会ってアメリカの武術に対するイメージは大きく変わった。緻密に研究し本当によく鍛錬されていた。国も流派も関係ない、個人なのだとつくづく感じた。
この日は初日という事も有り軽く交流し、チャイナタウンでマスターサムたちとマレーシア料理に舌鼓をうち、一回目の交流を終えた。
二回目はニュージャージーの仏教寺院内の教室に参加した。
前回同様に他のお弟子さんに混ざって基本訓練を行っているとマスターサムが「あなたたちはせっかく来たのだし、時間もないことだから基本功よりもっと深く推手をやろう」と言われ、私はマスターサムの娘さんと推手を行った。サムの娘さんもかなり張りが強いし足から背中、腕に力が伝わっている。
阿久澤代表はデイブと手合わせした後、マスターサムとも推手を行った。
「意力拳の鍛練された人の感覚は、足からの力がしっかりセンターに向かい両軸からの張りと重さが私の身体にずっしりと伝わってくる感じだ。」しかしそれに対して、阿久澤代表はサムの張りからくる力に反応せず、体を緩め肩の力を抜き、力の発動を後の先でとる形でコントロールしていた。頭でどれほど理論を知っていても体が鍛練されていなかったら瞬間的な変化に対応するのは厳しい。武術としての身体作りが重要だとしみじみ感じた。

練功と推手が直接つながるような体作りをしている意力拳のカリキュラムが組まれている事は素晴らしいと思う。 最後にお互い頑張りましょうと言って握手をして交流を終えた。
本来推手というものは訓練の一過程の方法であるがゆえに、自分自身が相手に接触した中での自らと相手の力の伝わりや微細な動きを知る為の訓練という認識を持って行う上では有効であるが、決められた枠組みの中でのみ単にくり返ししていても、その範囲内での技法に溺れてしまうと、表面的なテクニック論に終わる恐れがあると感じた。
私も武術を10年学んでいるが、何をすべきか解り、やっと入り口に立てたような気がする。今後私自身鍛練していく中でより多くを認識し課題としていかなければいけない。
(窪田則子 阿吽会武術クラス)
次回 NY武術交流第二回
ATTACKPROOF編に続く
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